祈りを捧げること

年が明けると初詣に出かける人も多くいるだろう。賽銭を投げ、礼をし、拍手をし、今年一年の無事や繁栄などを願う。おみくじを引いて運勢を占うこともあるだろう。

しかし初詣の列に並びながら、ふと考えたことはないだろうか。これだけ沢山の人々が祈りを捧げている神様は、一人一人をどの様に見守っているのだろうか、と。一体、今向き合っている神様はどの様な存在なのだろうか、と。

神という存在を感じているのは、人々の意識に他ならない。別の言い方をすると、神が存在をするのは、人々がその神を信仰しているからだとも言える。

だが人類が出会った最初の神はどこから来たのか。人類に意識が生まれる前、神は人とともにあった、人は神の声を聞き行動をしていた、という仮説があるらしい。

とすると、人類が意識を手に入れたことによって、自分と、神とが分かれて別の存在となったということだろうか。神とは、人類が意識を手に入れたことで必然的に生まれた存在、ということだろうか。

ある意味で、神に祈るということは、自分という存在を改めて認識する行為にも思えてくる。年に一度、少し立ち止まって考えてみてもいいだろう。何故だか説明はできないが、今年も生きていくぞ、という気持ちが少し増した様な気がしてきた。

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